人は見た目で判断できない。けだしその通りである。
けれども、そんなことが「改めて」言いわれてしまうということは、大抵の場合、人は見た目で判断できる、判断されているという事実を、逆説的に浮かび上がらせている。 犬が人間を噛んでもニュースにならない。人間が犬を噛めばニュースになる。 ちょっと違うか。 というのをiPhoneにメモっておいて放置。メール投稿することで前へ進める。続きを書こう。せっかくなので。 見た目の話だった。「見た目」の定義について明らかにするため、辞書を引くと「外部から見た姿・ようす」とある。 つまり「人の見た目」とは「その人の顔や身体を外部から見た姿・ようす」のこと。 その「人の見た目」の定義が、近年のインターネットの普及によって広がりをみせたように思える。アバターの存在だ。 「アバター」について、同様に辞書を引くと「コンピューターネットワーク上の仮想的な空間において、自分の分身として表示されるキャラクターのこと」とある。 つまり「バーチャルな自分の分身」のこと。 このアバター、個人的な話となるが、どうも好きになれない。なんといっても、語感がよくない。「ア」で始まり、中央に爆発音の「バ」、最後に「ター」ってどうなの。母音も「ア」ばっかり。それは悪くないか。 語感の悪さは百歩譲ろう。けれどもこの世知辛い世の中、今日を生きるため「自分」のことだけで手一杯だというのに「自分の分身」の世話までみれるか。みれない。 「アバター遊び」とかいって、バーチャルな世界で自分の、しかも分身を飾り立てて楽しいか。虚しい。バーチャル? 現実を生きろ! そう思っていました。 楽しいですね。アバター遊び。 最近、プーペガールというもので、着せ替え遊びしてます。わーい。ってよく言ってます。よくできたサービスです。縛りが少ないのもいい。故に、先日のUI変更は残念。 そのプーペガールのアバターだが、「目の形」「口の形」「顔の輪郭」「肌の色」「髪の色」「そばかすの有無」など各パーツごとバリエーションが豊富。かなり仔細に作り込むことができる。つまり、アバターを通して自分好みの「見た目」になれる。 当然、各ユーザーのアバターは、読むファッション誌の違いはあれど、どれもかわいい。はずなのだが。 初めて目にした時は驚いた。頭の中に「?」が浮かび、増殖し、瞬く間に脳内を埋め尽くし、破裂した。 率直に言う。不細工なアバターがいたのだ。それが一人ではなく、よく見るとあちらこちらに。これは、自分がおかしいのか。自分のものさしがおかしいのか。 そういえば、私から見たら可愛いけど、気持ち悪いという人多いな、鳥の「見た目」。 ツバメが満タンに詰まったTシャツです。可愛いと思って、今ちょうど着てます。 #
by torilog
| 2009-08-30 00:19
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連休が終わってゆく。昨日今日と雨であったことが口惜しい。能天気に晴れ渡った空の下、私はふとんを干すつもりであった。太陽の恵みを受けぶんぶんに膨れ上がったふとんに包まれ快眠をむさぼることで、明日から再開する社会の荒波に立ち向かう英気を養うつもりであった。
こどもの日に雨降りというのも珍しい。個人的に残念に思う。屋根より高い鯉のぼりがぐっしょりと雨に濡れ、ポールにまとわりついている様子はせつない。そのような豪奢な鯉のぼりを飾る家が昨今稀になりつつあること、これもまたせつない。 そこでですよ。こどもの日にもっと鯉のぼりを、日々の生活の中にもっと鳥を。 blanco y negro bird(IDEE SHOP Online) 連休中ですが、地味に共有ブックマークとかの整理してました。複数のです。それでちょっと驚きました。このブログ登録していただいている方がいることに。 #
by torilog
| 2009-05-06 23:56
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例えば動物園。いろいろな生き物がいて楽しい。その楽しさはひとりでなく誰かと共有した方がいい。共有できるひとは複数いた方がいい。そして、柵越しに眺めること。どんなに挑発されても自ら柵を超えてはいけない。
そんな舞台装置を頭の中に拵え過ごしている。排他的な性格はやっぱり直らない。人生は反対の欲望で成り立っている。 はやく四月になれ。その前にこちらの鳥をご紹介。 最近、共有ブックマーク使って鳥あつめてます。便利ですね。もうすこし整理したら、そっちに移行するかもです。 #
by torilog
| 2009-03-23 00:47
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新年早々こちらのブログをご覧いただくような好事家のみなさま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
5日より働いてます。会社に通ってます。その会社へ向かうまでに乗り換えを二回行わなくてはならない。下北沢で小田急線から井の頭線へ、渋谷で山手線へ。 山手線へ向かう途中、右上方を仰げば、岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」が目に飛び込む。2008年11月17日より一般公開され、ニュースなどで紹介されていたそれだ。公開当時から比べると、壁画下にいる警備員が三人から一人になり、立ち止まって眺めるひとや写真を撮るひとの群れもなくなり、あたりは落ち着きをとりもどしつつあるが、壁画自体は今もなお圧倒的な存在感を放っている。 その壁画の件で、気になっていることがある。一度見たことがあるひとならば思い出してほしい。壁画の下の左右ふたつの角が細長い灰色のプレートでえぐられていることを。その灰色のプレートの分だけ壁画の部分が失われている。つまり公開されている壁画は本来の完璧な状態のものではない。 完璧さにこだわりひっそりと保管されるより、少しぐらいえぐられてもにぎやかな場所に展示された方がいい。その方が健全だ。それは壁画に限った話ではない。 わかっているけど、巣ごもり願望も捨てられない。このベット欲しい。 Tree bed(Shawn Lovell Metalworks) #
by torilog
| 2009-01-05 00:19
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先日、視力検査を受けた。左右ともに0.1だった。驚いた。確かに遠くのものが見えやしないという自覚はあったけれども、ここまで悪くなっているとは思わなかった。20歳ごろまでは1.5あったというのに。そうキーボードを叩きながら見つめるモニターの字はやはりぼやけている。
視力が0.1。私個人としてはまあいっかというレベルの話なのだけれども、社会生活を行う上ではこれではいけないらしい。聞くところによると視力0.4というのがひとつの指標となるらしく、0.4未満の場合は眼鏡やコンタクトをする必要があるとのこと。 目が悪くなりはじめた20歳ごろ、まずコンタクトを試した。駄目だった。目薬さえまともにさせやしないのに、コンタクトという異物を目に入れられるわけがない。なんとか入れられたとしても、それまでの苦闘で目は真っ赤。当然コンタクトとは疎遠になり、潔くあきらめた。 次に眼鏡に手を伸ばすわけだが、ここにも葛藤があった。誤解のないよう言っておくけれども、私は眼鏡をかけている人が好きだ。でも、自分が常に眼鏡をすることには抵抗がある。眼鏡の顔になってしまうからだ。小さいとき、常に眼鏡をかけている人が眼鏡を外したときの顔の喪失感が忘れられない。あの、ドラエモンでのび太が眼鏡を取ったときの目が「3」になるが、まさにである。恐ろしかった。見てはいけないものを見てしまった気分だった。 もう、レーシックでも受けようかな。その際、彼らをお供につけさせて欲しい。 『PUEBCO』 左から、フクロウ、白フクロウ、キバタン、カラスです。他にも仲間がたくさんいますよ。 PUEBCO(arenot) #
by torilog
| 2008-10-31 00:36
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